2009年07月08日

我思う。故に我在り。




 

「私がこのように“全ては偽である”と考えている間、その私自身はなにものかでなければならない。
これだけは真であるといえる事を発見する。」
「私は考える、ゆえに私はある」





                                  −−−−デカルト







LoveFighterが今日も更新されてましたな。
デカルトのこの言葉を思い出した。
でも剛はこれでいいんだと。

彼の取説は
携帯のぶ厚い説明書と同じで読んだところで使ってみないとわからず、
読まなくて使ってもさして支障は無い。
たまにこんなワザがあったのかと隠れ機能におどろくが実は隠れていない
常識機能だったりする。
私には目からウロコの機能だっただよーと言ったところで同調してくる人はリアルで探すよりも
ネット上で意外と簡単に見つかる。
使いこなしたらすごい携帯なんだけどなとわかっているがそこまで使いこなさなくてもいいかと思う。
家帰ったらPCあるし。
なんにせよ手放せないので見た目は大事で
画素数は良いにこしたことない。
どんどん新機種が出るがなんだかんだで選んでいるのは同じ機種。
やっぱり取説読まなくてもずっと使えてしまうのは自分で培った歴史と努力と好奇心。


そんなふうに僕はおもう。


ふと気づいたが
「そんなふうに僕はおもう」
このフレーズって主張してるのに控えめでかつ優しいよね。
















 


こんな30歳が35歳になったらどうなってるんだろうな
40歳になったら50歳になったらどんな言葉をこぼしているかな
度々、私は剛にそんな価値を見出しはじめている。

   
   
   



   
へたに同一視するとひっぱられて自分だけが見えてしまう。
へたに客観視すると離れすぎて自分も自分を見失う。


   
   
   
   
『どこまでも満たされない人間の諦めの悪さ』

   

   



     

それをダイレクトに感じられるのも剛の裏魅力。
にんげんだものとみつを的に片付けるにも執拗で根深い。




   
   
何度か言っているが
夜中に書いた手紙を夜中に封をして朝読み返さずに投函する男。
それが堂本剛である。





   
すげぇ・・・
勝てねえ・・・
そんな本当を掲げてなお、繊細といわしめる免罪符。
到底辿り着かないところに到達してる・・・・
あんたすげぇよ・・・・


  
   
   
   
ヨロヨロと及び腰であとずさるその感じ。

なんも評する必要性も見い出せない。
大きく白旗あげて言える。
だってもう






   
   
   
   
ステージが違う。

  
  
   
   
   
     
どうしてくれよう。
どうしよう。

わかるよといったところでと一線を画し
わからないよといったところでまた一線を保つままの。

   
   
      
       
そんな時、また自分の中にも違う形での

  
     
『どこまでも満たされない人間の諦めの悪さ』

   
    
    
    
を見つける。

   
   
こんな剛でどこか満たされない空虚な空がぽっかりと胸の奥。
ここは空けたままで、ずっと好きでいる。

   
   
     
   
   



posted by . at 02:53| KinKiKids | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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